てぃーだブログ › ETSUKO’s Beautiful Woman Produce 

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2013年02月19日

子育て革命 講演会

4月28日(日)

子育て革命 講演会いたします!
みんな、ぜひご参加くださいね

詳しくはこちらまで
http://enrin-inet.com/blog/?p=4637  

Posted by えっちゃん0226 at 14:55Comments(0)

トラウマという中の監獄 荒木悦子



トラウマという監獄の中で生きるのか?

それとも、希望に満ち溢れた世界で生きるのか?

あなたはどっちを生きますか?



EnRich13号の親力プログラム

「えつこは見た!?衝撃(笑劇)の子育て」で書いた記事で

12年前、金城先生のお宅で感じた衝撃を書きました。



この記事を書き、改めて感じたことは

トラウマや先入観、否定感情を持っている世界で生きていた私が、

「憧れやイメージ力」が私の中で動いただけで、

一気に住む世界が変わったというお話です。



当時の私は、今振り返ってみるとそうとうのヒネクレ者。

表には出さないものの(周りからしたらバレバレだったとおもうけど)、

「どうせ病」の極み!まあ、マフィア並みの(笑)暗黒に暮らしていた感じです。

自分の自覚では、オープンなつもりだったんですよ。

だから、やっかい(笑)

「どうせ病」とは、「どうせ私なんて、愛されるはずがない」



その延長線上で「どうせ家族なんて、いがみあうだけの関係よ」



と、家族に対して最悪なイメージしか持っていませんでした。

だから、「結婚したいし、子供も将来2人くらい産みたいわ♡」

と明るくガールズトークをした所で、

深層心理にあるのは「どうせ家族なんて…」のデビル悦子がいるわけで、

本当にそう思っていないのです。



叶うはずがないと、この12年自分自身に向き合い続けてきたからこそ

自分の「本音②(こうはなりたくない)」がわかり、

それから「本音①(どうしたい?)」がわかるのです。



私は「本音②(こうはなりたくない)」が見つかるまで時間がかかりました。



EnRich13号に書いたように、

私の育った家庭はとにかく「いがみあい」の多い家族でした。



母親と父親、母親と祖母、母親と祖父…と、

どれもが大好きな母親を責められ、母もおとなしく聞いている人ではないので、

言い合ってケンカみたいな毎日。

私のお誕生日会の時は、必ずこの「段取り」のことで母と祖母がケンカ。

その間に入り、私はいつも気をもんでいました。



「誰の誕生日会だと思ってるっちゅーねん!!!」



と、その時激怒して言っていれば、

こんなに私も引きずることはなかったんですが、

言えなかった私は

「私のお誕生日なのに、私を見ていない…。どうせ家族なんてっ」

と、「どうせ病」を受け継ぐことになるのです。

そして、「こんないがみ合いばかりの家族だけは嫌だ!」と、

思いいつの間にか、「家族」に対する良いイメージは

いつしか私の中で微塵もなくなってしまいました。



そんな「どうせ病」の極みの私が、金城家におじゃまし

「こんな家族、いるんだ…!」と、目で見て感じ憧れたことは、キセキなんです☆



そこに登場、われらがサザエさん…ではなく金城澄江さん!

金城先生の奥さんです。



普通のお母さんで、

4人の子供たちを大声で呼び(地声でした)

お世話好きのビッグママ!

頼もしいお母さんです。



そして、金城家の子供達。

当時中学1年生の由亜さん。

小学生の未亜さん、匡哉くん、幼稚園生だった歩未ちゃん。

この子供たちに、とにかく衝撃でした。



元気、素直、おもしろい、優しい…

子供ってこうあってほしい!という全世界共通の願いが、

金城家の子供たちにすべて凝縮された「あるがままの子供」そのままで、

私はシーラカンスでも発見したかの如く「い、いたんだ…」と、

ため息と感動と衝撃が入り混じったような感情が、瞬間走ったことを覚えています。

時が止まったようでした。



それを「羨望」というのです。

百聞は一見にしかず。



子供に対する私の見方も、

EnRich.1号の「女性が世界を変える時」に書いているように

「かわいそう」な見方で見ている私。

そう私の見方に問題があることは、あとからわかったことですが、

この金城家の子供達を見たらイメージは当たり前に一気に変わりました。



だってこの子たち、大人が筋の通らないことを言ってきたら、ちゃんと反論します。

おかしいことは、おかしいと、誰であってもちゃんと言うのです。

正直大人はタジタジでした。

そうなると、「金城先生の子供だから時別」的な見方や接し方になることも、

彼女たちからしたら、バレバレなんです。



金城家で感じたことは、まだまだたくさんあるのでこれから書いていきますが

私が「憧れの気もちを持った」ということがキセキでした。



「こんな子供たちといっしょにいたい!」

一瞬にして、思ったことは叶います。

私の「どうせ病」も、

この憧れの強いパワーが放たれると、溶けてなくなってしまいました。



それから2か月くらいで、なんとオメデタ!

産後すぐに、第2子もオメデタ!と、私は猛スピードで2児の母親となったのです。



そして、子供たちは金城家のユーモアをそのまま引き継いだハッピーな子供達。

叶っていたのです。



あんなに「家族」に対して、絶望的だった私が

「家族」を持っていることは、超キセキなんです。



今書きながら思いましたが、金城先生と初めて会った時の会話で

「これからの時代は、キャリアがある大人から学ぶのではなく、子供たちから学ぶ時代になるよ」

と、言われたことを思い出しました。



そのことも衝撃でしたが、「そうだな~」と腑に落ち

そして金城家の子供達の行動、言葉を見て聞いて感じて

「子供」に対するイメージが、ガラリと変わったのを覚えています。



それまでは、子供は何もわからない存在だと思っていたけれども、

そこも腑に落ちなかったのですが、金城家の子供たちの芯のある生き方を見た時に

「子どもは理解ある存在だ」と確信し、

それからは、私もどちらかというと大人よりも

金城家の長女由亜さんに相談することが多くなっていました。



EnRichに由亜さんも当時の私のことを「素直」だと書いてくれています。

私の中では、彼女に対してすでに「自分を信頼して生きている先輩」と感じていたので、

自然とそうなっていました。



そのやりとりが当時会ったお蔭で、

今自分の子供たちが言うことを「聞こうとする」のも

事前に訓練されていたんだと、気が付きました。



子供たちは「答え」を知っている存在だから、

相談することができれば最高に楽しいチームになることは間違いありません。



私が金城家に毎日おじゃまして、

ご飯を食べさせてもらったり生活を供にさせてもらったりする中で感じてきたことが、

今の私の家庭のベースになっています。



無意識になると「どうせ家族なんて」の私が子供たちと接しています。

そんな時は、とにかく何もかもうまくいかないし、私自身気持ちが安定しないです。

ですが、金城家で感じた「理解ある子供達」と共に暮らせる悦びを感じていると

子供たちといろんな話で盛り上がり、

「あの時、ママ手伝ってって言わなかったよね。だから、やりようがなかった」

とか、報告を受けます(笑)



金城家で感じたことは、

私の「希望」がすべてつまっていた宝物でした。



「憧れる気持ち」

そのことを、これから意識して日々送って、またブログやEnRichで紹介しますね!



みなさんEnRich 13号、もう一度読んでみてね!



この「憧れる気持ち」が灯るだけで、一気に自分の住む世界が変わるのです!

こんなに、「憧れの気持ち」が生きることと繋がっているとは…知りませんでした。

みなさんの心に「憧れの気持ち」の光が輝きますように☆



そんな、自分自身のイメージをガラッと変えていくのが

「いちゃRIVA親力プログラムセミナー」です。



みなさん、いらしてくださいね!




  

Posted by えっちゃん0226 at 13:15Comments(0)美しい女性セミナー

2012年12月13日

女性が世界を変える時

女性が世界を変える時 荒木 悦子 1/5


「女性が世界を変える時」
みなさんこのテーマを見て、何を感じますか?

私は…泣きました。

いよいよその時が来たのだ、と魂は震えていました。
自分自身がこんなにも渇望していたことさえ知りませんでした。

この「女性が世界を変える時」の打ち合わせを日々していく中で、
これは絶対に伝えなければならないことでした。

何故なら、この地球に生まれた私たちひとりひとりが、
この「答え」を強く求めているからです。

その「答え」をずっと探し求め、
いろんな本を読んだりワークショップに通ったりしましたが、
確信に至る答えを感じることができませんでした。

ですが、金城先生との出会いから約十年、
私はやっとその「答え」を体感することとなります。

「どうしたら、世界が平和になるのか?」

私が知りたかったのは、ただこれだけでした。

私がそれまでイメージしていた世界を変える壮大なプロジェクトは、
重く苦しいものでしたが、
今となっては、簡単でシンプルなことでした。

私が出来るのだから、誰にでもできる、そう確信しました。

東日本大震災や世の中で起こっているいろいろな現状を目の当たりにし、
自分に何ができるのか、いろいろな想いを日々感じながら生活されていると思います。

「今、自分に何ができるのか」

その答えを、今回お伝えすることがいよいよできます。
それは、この「EnRich」を読んでいただいているあなたにも出来ることなのです。

今回の特集では、2011年11月11日に行いました
「女性が世界を変える時」のフォーラムでお話しいたしました内容を
お伝えしてまいります。

かいつまんで、ではありますが、
私自身どうやってその答えを体感したのかを、
この10年間の私自身の変化・成長を皆さまに読んで頂き、
ご自分のヒントとして受け取って頂きたいと思います。

そのことが、「世界を変える」一歩となります。
偉大なるこのプロジェクト、でも私たちは本気です。

子供たちが明るくのびのびと生きる未来の環境を創るため、
私たちは「今、出来ること」を積み重ねてまいります。

どうかお力を貸してください。
共に、素晴らしい未来を創りましょう。


私について


まずは、私の紹介からさせてもらいます。
といっても10年前の私です。

20代、私はいわゆるキャリアウーマンでした。

もともと女性を綺麗にすることが大好きで、補正下着のインストラクターから始まり
20代半ばでは、エステと美容室の経営者となりました。

そしてさらに「美」を追及するためヨガを学び、
そこからベリーダンスと出合いヨガを取り入れた独自のスタイルで、
ベリーダンスの教室を展開していくこととなります。

初めて経営したエステと美容室は、
たちまち売り上げも伸びビジネスはうまく波にのり、
当時は、経営者たちが集まる街づくりのボランティア活動にも積極的に参加したりと、
社会的にも認められる立場まで私自身這い上がった感覚でした。

すべてが上手くいくので、正直怖いものなしと言いますか、
このまま、思ったことは何でも叶うことを当たり前に思っていましたし、
このまま飛ぶ鳥を落とさぬ勢いのある私、まさに絶好調の時でした。

やりたいことは誰が何と言おうと行動する、よって叶う…
「欲しいものは手に入る」と、思ったことの叶う20代。

初めての経営も波にのっていたのですが、
叶えば叶うほど、私自身に「空しさ」が広がりました。

目的を達成するまでは気持ちが入るのですが、
叶ったとたん孤独と空しさが襲っていました。

小さい頃から何故か海外に憧れがありました。
社会人となり経営をし、現実を見る力の大切さを感じてきた年齢でもあり、
自分の目で本当の海外の情報を確かめたい、そんな気持ちが強くなっていました。

そして、現実を見れば見るほど「空しさ」が湧いてくる自分自身と向き合いたくて、
時間を作りよく海外へ出かけました。

18歳の時、短大のホームステイでカナダに行った時から、
私の「なんで?」と疑問が働き始めました。

「日本って、変!」そう思い始めたのもこの時からです。

憧れていた初めての海外、写真を撮るのももったいないと思うくらい、
すべての情景を自分の目に焼き付けて帰りたかった程、気持ちは高ぶっていました。
忘れかけていた小さい頃の好奇心が、海外では自然と湧き出ました。

カナダのノースバンクーバーに飛行機が着陸する時、
「わー…!」と、溜息しか出ませんでした。

街の造りがあまりに美しいのです。
童話に出てくるような森の中に、かわいらしい家が綺麗に区画整理されて建っています。

自然の中に人間が住まわせて頂いている、共存共栄の人の在るべき環境でした。
どこにいっても樹木の香りを感じながら新鮮な空気の中に包まれている感覚は、
心地よさと安心感を思い出させてくれました。

日本ではそんな心地を感じたことがありませんでした。

東京から飛行機で飛び立ったわけですが、
ビルの隙間からかすかに空が見えるかくらいのビル社会、
そのまた隙間にアパートやマンション、一軒家が建ち、
排気ガスの中で洗濯物がなびいている…
そんな日本のゴミゴミした状況を思い出し、急に恐ろしくなりました。

何が恐ろしかったかと言うと、
自分の住んでいる環境を当たり前だと思い込んでいた自分自身にです。

こんな美しい環境に触れてしまっては、
今まで住んでいた場所が、言い方は悪いですが「ゴミ箱」に住んでいるように感じました。

「騙されていた」ような感覚にすらなりました。

物が溢れて情緒の落ち着き所のない日本、
物は必要最低限、だけどいつも大地と繋がっているような安心感のあるカナダ、
子供を育てるとしたら間違いなくカナダを選びます。
18歳ながらにもそう決めました。

日本の経済至上主義の犠牲の中で私たちが埋もれて暮らしているなんて、
このカナダの環境に触れなければ解らないことでした。

初めて自分の当たり前の「価値観」に疑問を持ち、
私はこうしたいと想った貴重な経験となりました。

それから私は、環境問題を考えることとなります。
どうやったら、地球全体をカナダみたいに美しい環境にできるのかと。

それから20歳の時、タイに行きました。
貧富の差が激しい国であることは、高層ビルのすぐ近くに、
今にも壊れそうな木造の家屋に家族ひしめき合って生活しているのを見て、
すぐにわかりましたが、
気になったのは車が行きかう砂埃だらけの道端で、物乞いをしている親子の姿でした。

どこに観光に行っても、親子の物乞いをしている姿がありましたが、
何故か?ほとんどの子供たち…片方の手・足がないのです。

偶然には思えずガイドさんに聞きました。
ガイドさんはあまり話したくなさそうでしたが、
私がしつこく聞くと衝撃の事実を教えてくれました。

「お母さんが、足を切るんですよ」

「……?」私は理解ができません。

「生きていくために、みんなにかわいそうな子供と思われるため、
母親が生後間もない我が子の手足を切るのです。これが、タイの現実なのです。」と。

気を失いそうなくらいショックでした。

考えもしなかった事実。
テレビとかでは、そのような話聞いたことはあるけれど、
自分とは関係のない遠くの話として流していました。
ですが、今、目の前で見てしまったのです。

どれだけ恐ろしい現実なのかを身をもって感じてしまいました。
もし私がこの母親の元に生まれていたら、
拒否する権利もなく、この運命に従うしかないのかと。

それとも、もし私がこの子の母親だったなら、
生きるためだからと我が子の足を切れるのか…と。

そう考えていたら、悲しみと憤りが体中を駆け巡り震えていました。

人として、絶対にしてはならないこと、ダメなこと。

経済の犠牲になってはいけない、
子供たちを守りたいという気持ちが強くなり、
同時に「運命」についても本気で考えることとなります。

26~27歳で、中国・ニューヨークに行き、同じような状況を感じました。
中国では、四歳くらいのストリートチルドレンたちにお金をせびられました。

冬なのに裸足で砂まみれ、車に乗っている私たち目がけて、走って追いかけてきます。
その目はもはや、子供の面影はなく光の無い鋭い目をしていました。
その日食べるものもないサバイバルの生活、
それを小学生にも満たない子供たちが必至でいる。

私は何をしているのだろう…、
自分のわがままさに吐き気がしました。

ニューヨークでは、地下鉄で一人ゴーストタウンに迷い込み、
危険な状態ではありましたが、向かいに座っている貧困層の親子に対し、
心の中で「この親子が幸せに暮らせますように」と祈りました。

すると同時に、
「あんたみたいな裕福な日本人に何がわかる!上からものを言うな!」
と、こだまのように睨まれた目から言葉無き言葉が返ってきました。
私は往復ビンタをされたように精神的に打ちのめされました。

確かにそうだからです。
今、自分が良かれと思って想いをかけていることは、
無意味どころか身の程知らず、世間知らずの事実でした。

「おまえに祈られたくない」

何故かその時、腑に落ちました。
自分の無力さに愕然としました。

それからヨーロッパにも行き、素敵な教会を巡りました。
ガイドさんに「何か願って下さい」と言われ、
何をお願いしようか考えても、やはり「世界が平和になりますように」
これしか思い当りませんでした。

自分の無力さも分かっている、好奇心で言っているわけでもない、
でも「見た責任がある」そう、責任がある。
そう思い、私は美しい七色のステンドグラスの前で
微笑んでいるマリア様に向かって、静かに祈りました。

最初は「お願いします」と。
ですが、タイや中国で見た子供たちを思い出し、
「私が絶対!世界を変えるから」と自分自身に誓いました。
その瞬間のことを思い出すと今も熱くなり涙が溢れます。

純粋な 真剣な想いであったから。
何をどうしたら良いのかもわからない、やり方が分かるわけでもない、
だけど自分に誓った約束は絶対に守るとそれだけを握りしめ日本に帰りました。



つづく

詳しくは 円隣企画HPにて
http://www.enrin.co.jp/enrin-dnn/Default.aspx

  

Posted by えっちゃん0226 at 16:00Comments(0)美しい女性セミナー





眠る前に、娘マリアは「マッサージして~」と言ってきます。

マッサージしながら聞いてみました。



「マリは、産まれる前のこと覚えてるでしょ?

前は、『他のお母さんのとこに行こうと思ったけど、

やっぱりママが優しいからママのとこに来た』って言ってくれたでしょ?

他になんか覚えてることある?なんでママだったの?」



するとマリアが言いました。

「ママ、ベリーダンスとかしてたくさんお友達いるさ~。

だから、ママとたくさんのお友達を助けられるさ~。

マリが胃腸炎になった時、佐世(お友達)がみてくれたでしょ。

いろんな人が、マリを助けてくれるでしょ。

ま、本当はマリが助けてるんだけどね」



この言葉は、とっても深いです。

彼女は障害があります。

全身全霊で、心を開き「助けてもらう」ことを見せてくれているマリア。

心を開くことは、だれもが望む人の生き方です。

障害をあえて選んできた勇気ある魂です。

やはり、言うことが違います。



マリアが私を選んだのは、私を助けて、多くの人を助けるため。

今、その通りになっています。



マリアを妊娠中は、人間が変わったように、地球のものすべてが美しく見えました。

妊娠したらそうなるんだと、思ってた。

だけど、今マリアという人と接していて思います。

マリアがお腹の中で、私の感受性をコントロールしてくれていたことに気が付きました。

「心」で生きる事を、彼女は私に思い出させたかったのです。



妊娠するって、すごいな~~~

改めて、感動です。



10月10日は、女性の人生においてとにかくハッピーで不思議な経験が毎日やってきます。

そんな10月10日を過ごして欲しい!

たくさん、お腹の中の赤ちゃんと楽しむ経験をしてほしいです。



ママになることが、とにかく待ち遠しくなる

「1010Happyクラス」へ、ぜひ遊びに来てくださいね!


http://www.enrin.co.jp/enrin-dnn/Default.aspx


  

Posted by えっちゃん0226 at 16:05Comments(0)美しい女性セミナー

2012年08月03日

見られたかったの感情

40歳を目前にして、私は「生理的欲求」を思い出した。

世間では、大人。

2児の母でもある私が、いまさら「好かれたい・愛されたい」という感情を

思い出すというということに、正直抵抗はあったが、

私の奥底に、フツフツとマグマのようになんらかの感情があることは、

金城先生のセミナーや、カウンセリングを受ける度、感じてはいた。



思い出すのが、怖かった…というのが、正直な気持ちだった。



金城先生と出逢い、「自分」について学び始めると、

自分の気づかなかった感情が、ポコポコと浮き出てくる。

その中には、怒りや、悲しみ、寂しさ…見たくなかった感情がた~くさんあった。

これでもかって位、どんどん出てきてよく泣いたり、怒ったり…。

そうやってドンドン感情の玉ねぎの皮みたいにむいて、むいて…、むききった時に

見えた感情が

「好かれたい・愛されたい」だ。



「人」として当たり前に持っている感情なのだが、

誰もがこの感情を自分自身が持っていることに気づかないことが、

人生の大変・トラブルを引き起こすのだ。

私自身、生理的欲求を思い出さないことで、恋愛・家庭・仕事、

すべての人間関係トラブルつづきだった。



そしてこの感情は、思い出して客観的に見ると、「本来の私」を発見し、

素晴らしい人生を創る「宝」だと知った。



今、社会で最も必要とされている「人間力」

その力が、生理的欲求を思い出すことで、「人間力」を元々持っていることに気づいた。



まったくの「人音痴」だった私が、たった2~3年で、

ものすごく理解力のある人に変容した。(自分でも、かなりビックリ!!!)

自分で言うのもなんだが、かなり別人。



とにかく、自分の内面の心地よさが違うので、

安心して私自身とお付き合いできるというのが、なにより「幸せ」なのだ。



今、その心地になって初めて分ったのだが、この「生理的欲求」を思い出していないから

社会で問題が勃発している。



いじめや、自殺、経済至上主義、家庭内暴力、ひきこもり…

あげるとキリがないが、すべての悲しいニュースは

すべて人間の「好かれたい・愛されたい」という満たされない欲求からきているのだ。



どんなに、解決策を政治家や、教育者が話合っても無理だ。

だって、解決しようとしている大人が、この「生理的欲求」を思い出していないのだから、

絶対に無理!



だから、分っている私たちが社会を変えていけるんだ!

私たちじゃないと、できないことだ。



だから、こうやってブログを書いている。



みんなに本当の理由を知ってほしい。

すべての人間関係をHappyにするのは「人間力」。

「人」が変わらなければ、どんなにECO活動やボランティアをやったって、

環境(家庭・職場・社会)は変わらないのだ。



だから一人でも多くの方に、この「人間力」を手渡し、「愛」ある社会にしてゆく!

それが私たち円隣の目的だ。



この「生理的欲求」は社会を平和にする、心臓部となる。



だれしも、この「生理的欲求」を持っていることを前提に、ブログやEnrichを読み

その素敵な宝の感情を思い出してほしい。





私の場合は、私のお母さん役である恵里子さんに見つめられた時に思い出した。

セミナーをしている時だった。

私は担当として、金城先生の前座で自分の体験談を話していた。

毎回してはいるものの、やはり内容が伝わっているのか、

私なりに説明ができているのか気にしながら話していた。



そして、いつも一番後ろの席で恵里子さんは、見てくれていた。



いつも、後ろに座っている恵里子さんを感じてはいたが、

しっかり目を合わしてはいなかったのだが、この時は目があった。



「あ、恵里子さん、見てくれてる…応援してくれている…!」



急に泣きたい感情がグワッっと沸き起こった。

恵里子さんの優しく私を見てくれている眼差しは、

私を無条件に愛してくれている眼差しだと分ったのだ。



「見られたかったんだ…私」

初めてこの感情(生理的欲求)を思い出したのだ。



私、お母さんにこんな眼差しで見られたかった…。

まさしく諦めていた感情だった。

諦め過ぎて、奥底にしまい込みすぎてなかなかでなかった

「見られたかった」という感情が、ようやく息を吹き返したのだった。



たったこれだけのことだが、この気づきはものすごく私の内面を落ち着けさせた。

「気が済んだ」とでも言うのだろう。その日から、常に「安堵感」があるのだ。

「みんなに見守られている、愛されている。」という安堵感だ。

今まで、「孤独」のソルジャーとして戦ってきた私にとって、

「初めて安心して休憩している」そんな感覚だった。



「ここは、平和で愛に満ちている地球、たくさんの武器を置いていいんだ…。」



と、私は自分を守るためのたくさん肩に背中に、足にまでつけていた武器を外したのだ。

2歳半からずっとつけていただけに、外した時は違和感があったが、なにより体が軽~い!



ベリーダンスのレッスンをしていても、急に体が伸びたり、腕が上がったり、

背中がうんと反ったりと、本当に急な体の変化に驚いた。

今まで、見えない武器で体を縛り、硬くしていたのがわかった。

武器を置くって…、なんて幸せなんだろう!



さて、何故に私はこれほどまでの武器を持つようになったのか…?

年齢を重ね、経験を積むほど、そして大切な人から裏切られれば裏切られるほど、

武器は増えていき、そのうち戦国時代の鎧までつけるようになった。



刀、鉄砲、鎧、ヌンチャク…とにかくそれ関係のものを全部装着し、

重みで自分自身が身動きとれず、潰れそうになった時から、

金城先生との「悦子の見直し」が始まった。



金城先生とお会いしてから、12年になるが、

最初の10年はこの鎧がまだ見られていないと思っていて、

重みにも耐えれたのでやせ我慢をし、つくり笑いをしていられたのだが、

2年前から本当に私はヘロヘロに疲れ果て、

とにかく疲れ果て(重いよ~、身動きとれず泣いていた)、

本当の意味で「こんなの嫌だ~」と自分の限界を感じ



「ところで、私、何やってるの?」



と、初めて自分の人生に「問い」を持ったのだ。



それからである、私が大切だと思っていた価値観

例えば「いい女と思われたい」とか「惨めにおもわれたくない」とか

「お金があると幸せになれる」などなど、もっとたくさんあったが、

一つ一つの武器や鎧を検証しては、

「え~、こんな役に立たないもの、何でこんなに大事に握りしめていたの?」

というくらい、見てはビックリして手放し、そしてまた手放し…

を1年以上繰り返してようやく最後の武器を手放した時

等身大の「私」の体が見えた。

それまでを「価値観の見直し」と言う。



その丸裸の体が見えた時、恵里子さんから見られている事に

「無条件に愛してもらっているんだ…」と感じ

号泣したのだ。



初めて「生理的欲求」を思い出した日だった。

「見られたかったんだ…私」



いつも、同じように「見られている」はずなのに、なぜそう感じたのか?

「拒絶」という武器を置いたからだ。

(1年くらいずっと目の上がかぶれていた。アトピーのようだった。

アトピーは「拒絶」した時におこるらしい。

そのかぶれが、生理的欲求を思い出すことでピタッと出なくなった)



「見られたい」とは「愛されたい」と同じこと。

その欲求が私にあると知ってからは、本当に身も心も軽くなった。



しかも、派手好きだった精神的不安定さもクリアーになり、例えば好きなファッションも

自分自身が心地よいものへと、チョイスが自然に変わっていった。



そういう落ち着いた服が好き…という話ではなく

こんなに情緒・情動が安定していなかった悦子が、

落ち着いたというのが「キセキ」なのだ。



今は、まわりから「愛」を感じる私になってきた。



こんなにも、「生理的欲求」を思い出すことが私自身を救うことになるなんて…。

こんな「宝物」をみんな持っていることに、気づいてほしい!

だって、急に人生がキラキラ見え始めるのだから…。
  

Posted by えっちゃん0226 at 11:45Comments(3)美しい女性セミナー

2012年07月25日

自愛のすすめ



「自分を知る」



何度もこのことについて書き、取り組み始んできたが

一層に自分自身が「ノーマーク」だと気づく。



知れば知るほど、「元々、こんなに力があったんだな」と気づく。



今、改めて自分自身

「荒木悦子」という人間に興味を持っている。



何故に、「荒木家」の長女として生まれようと決めたのか。

そして、「悦子」という名を、自分自身につけたのか…?



「私について、知ってるつもり」をリセットしたら

全く意外な私を発見し始めたのだ。



こんなに力があり、こんなに理解力があるなんて…

でも、どこかでそんな私を、感じてはいた。



たまたまかな…?とか否定したりもしていた。

たまたま、感じちゃったりするのかな…?

偶然かな…?



今、自身の価値観を見直し、親の価値観を手放し

改めて、真っ白な状態の「私」

スタートラインに立った感じだ。



とにかく今から、目の前に起こることに

ひとつひとつ、丁寧に向き合い、自分自身の気持ちを大切にしていきたいと

心から想っている。



私が私を、丁寧に大切にしたいと、心から想っている。

本当に、今まで自分自身が「ノーマーク」

自分の想い・気持ちよりも、他者の気持ちが当たり前に優先。

当たり前すぎて、問い直しもしなかった。



だけど、自分自身を扱わずして、どうして相手の気持ちを扱うことができるのか…?

今となっては、本当に不思議だ。



これも、7歳の娘に

「世界中で一番好きなのは、自分。

だって、自分がいないと、大切なママを愛せないさ」

と言われ、その「自愛の深さ」を体で感じてしまったからだ。



私が空っぽだったら、何も伝わらない!



自分自身の自愛のなさに、危機感を感じたからだ。



長女を身ごもり、一人で産み育てる!と

腹を決めた瞬間

「命どぅ宝」という言葉がふってきた。



良く聞く言葉ではあるが、その意味はまったく感じれなかった。



障害を持って生まれた、勇気ある魂の長女は

体をはって、私に「命どぅ宝」を伝え続けた。



彼女が生まれて、9年。

ようやく私の「自愛」がスタートした。

自分の「命」を無条件に尊く想わずして、誰に愛してもらうのだろうか?

誰を愛せるというのだろうか?



今、世の中は「愛」を訴えている

「愛」ある世の中を、取り戻そうと必死である。



だけど、「愛」を目の前の人に、向けすぎてはいないだろうか?

お母さんであれば、我が子

恋人であれば、彼に…



それを「愛」と言うことを、当たり前にしすぎていないだろうか?



スペインの教会で聖母マリア様に誓った

「私が世界を変えますから!」



答えはわからなかったが、何故か確信して日本に帰った。



そしてその答えを、娘のマリア・マヤから、12年越しにもらった。



それは、「自愛」

シンプルなことだが、なかなか見つからない不思議な答えだ。



なんせ、自分はノーマークだから。



今、私は「荒木悦子」という人間に興味をもっている。

やはり、私の人生おもしろい!

私にしか、できないな~って思う。

私にしか、感じないな~って思う。



金城氏に以前言われた、「唯一無二の存在」

でも、みんなそうなのである。



今から、私自身を新しく経験させて、楽しんでいこうと思う。

私が、私を乗り慣れて、おもしろい旅に出発するよ~



そんな、心地なのであった。
  

Posted by えっちゃん0226 at 16:17Comments(0)美しい女性セミナー



私は当時いっぱしの経営者だった。

世界中を旅して見たものは、悲惨な現実だった。

特に子供たちの環境は、あまりに辛い世の中であることを感じ私はいてもたっても

いられなくなり、経営の傍ら地域のボランティア活動をしたり、

海外に学校をつくったりできないものか…など、あらゆることを手掛けようとした時だった。



金城先生に出逢い、

名言「世界を変えたければ、あなたが変わりなさい」と言われた。

(このいきさつの詳しくは、EnRich1号に掲載中)



その後、金城先生に言われたことは…なんと!



「皿を洗う」



だった。



正直「?」と思った。皿洗い?

世界を変える事となんの関係があるわけ???

もっと、壮大なテーマを下さい!



そう思っていた。

でも、ずっと「皿 洗った?」と会うたびに言われた。



私は、家事が苦手だった。

正直、専業主婦は死んでもなりたくない!

と思うくらい、「お母さん」と呼ばれること自体、憧れもなかったし、

24時間仕事をしていたいと思っていたほど。

そんな自覚だった。



だから、「皿を洗う」こと自体業務の一つとしか捉えていなかったので、

私が忙しくなったら、お手伝いさんをやとってしてもらえばいい…位におもっていた。



そんな私のテーマが「皿洗い」



まるで、坊さんにでもなったようなテーマ。



金城先生との問答はここから始まった



先生「皿、洗った?」

悦子「洗いましたよ!」



先生「…う~ん、違うな…」

悦子「(洗ってるんですけど!…スポンジを変えてみたらよいのか?

それとも、洗剤か???ブツブツ…)」

こんな感じで何年かこの問答は続いた。



そしてある日のこと

先生「皿、洗った?」

悦子「洗いました」



先生「お、皿洗ったね~!」

悦子「???」



そう、これが「悦子が皿を洗った日」となった。

だけど、私は意味不明…何が違うのか?



「皿を洗う」という行動は一緒なのに…???

自分に問いかけてみた。



「あ~!気持ちがちがう!!」(心ピッカ~ン☆)



そう、私の心地が違っていた。

先生に「う~ん…違う」と言われていた時は、

「皿を洗わなければならない」の、あんたはどっかの修行僧か!ばりのカーニバル。



でも、「洗ったね~」の時は、皿を洗うのは当たり前だしね、

そして、お皿を洗うこと自体、気持ちいいしね~の、爽やかな心地。



何度も言いますが、心地が違うのだ。

飛び跳ねたいくらいに、心弾んで何かをしている時と

「~しなければならない」と、眉間にシワをよせ「努力・忍耐」を掲げ

何かをしている時…



別人のように、違う~~~。



これが THIS IS 波動(HADO)なんだ。



この「皿を洗う」の問答の10年…。

ここまで来るまでには、価値観の見直し、主体変容…

様々な私の変化があったのだが、一番の決め手は

自分自身の「生理的欲求」を思い出したからだ。



人の基本的な欲求

「好かれたい・愛されたい」の感情を金城先生のナビゲートで思い出したのだ。

そしたら、37年ぶりに私の心が、動き始めた!

まるで、無機質な私の体に「命」が吹き込まれたように…。



それから、見るものすべてがキラキラして見えるのは、本当に不思議な経験だ。





話しを、戻しましょう…。



「世界を変えたければ、あなたが変わりなさい」



私の何が、変わる?



私が世界を変えなければならないっ!

だって、世の中は悲惨極まりない状態だから…。



と、



私が世界を変えちゃうぞ!

だって、私みたいにみんな幸せになってほしいから。

私が変わったから、みんな大丈夫よ~~~。集まれ~~。



どう?違いがわかるでしょ。



たかが「皿洗い」…されど「皿洗い☆」



皿洗いから、世界が変わることが、はっきりキラキラと見えた悦子であった。






iPhoneから送信
  

Posted by えっちゃん0226 at 11:48Comments(0)美しい女性セミナー


美容室に久々に行って、髪もスッキリ!

沖縄は梅雨真っただ中。。。

ドシャブリだったが心はウキウキルンルンだった。



マヤを学童に迎えに行き、

夕方からのマリアの学童のカレーパーティーに

差し入れを持っていこうと

マヤと、相合傘でケーキ屋さんへ行った。



カラフルなスイーツを目の前に

さらにテンションアップの私( ^)o(^ )



マヤの好きなケーキを選んで

ドシャブリの雨の中、車に戻った。



娘と相合傘して、いっしょにケーキを選び

何気ないひと時に「あ~、幸せ♡」とかみしめていた。



「お母さんになって、よかった~。。。」



傘をさし、マヤを助手席まで送り、

運転席まで戻り、傘を閉じ車に乗ろうとした瞬間



か、傘が閉まらない。。。。!



みると、車のアンテナと傘の内側のひもが絡まっていた。



「あ、あ、あ~~~」

と言いながら、慌ててほどいて傘を閉じ車に乗った。



は~。。。と一息ついて、傘を後部座席におこうとしたら



か、傘がひっかかって動かない…(今度はシートベルトにひっかかる。。。)



またも、あたふたしていた私に、マヤさんから一言


つづく・・・http://enrin-inet.com/blog/?p=2438  

Posted by えっちゃん0226 at 12:14Comments(0)美しい女性セミナー

2012年05月30日

おっぱいからの伝言


「ブラ新しいのに替えた?」

いきなり金城先生が言った。

「え?あ、替えましたけど、わかります?」

ランチをオーダーして、ホッと一息、
雅子さんとワクワクしている、そんな時だった。

それが、私の「問いかけの狙い目」だからだ。

(私が素直に先生からの問いかけに答えられる時である。

食事前は、全力で機嫌がよい)

先生「今のブラがきれいに見えるよ」

悦子(よろこぶ!)

先生「もう少し、胸の位置上げた方がいいんじゃない?」

私はビックリした。
べリーダンスでオーダーしたドレスのバストの位置も、
「上すぎる」とわざと下の方に下げるようお願いしていたからだ。

「もう40代なんだから、それなりの位置にしたいわ…」
なんて、無意識に思っていたことを、ブラの位置のことで
先生につっこまれ、驚いた。

先生「あのね・・・、あなたのおっぱいが言ってくるわけ…。
何て言ってるか、聞きたい?」

悦子「(先生の興味じゃないわけね。私のおっぱいからの声なんだ…!?)
聞きたいです」

先生「……どっちやねん!」
悦子「は?」
(意味不明…)



つづく

  

Posted by えっちゃん0226 at 16:55Comments(0)美しい女性セミナー

2012年05月30日

優しいお母さんになる

2年前くらいだろうか、娘マリアに胎内記憶の話を聞いたところ、

「最初は違うお母さんのとこに行こうとしたら、
神様が『こっちのお母さんの方が、優しいよ』と言ったから
ママのところに来た」

と言われた。

普通なら、飛び上がって喜ぶところだけど、私の場合違った。
素直に喜べない…どころか「罪悪感」を感じたのだ。

なぜなら、優しいお母さんではないから…だ。
思えるものは思える、思えないものは思えない。

マリアに対して、厳しいというよりも、きつい態度をとってしまう。
彼女の気持ちが理解できず、彼女が何かを怒りながら、泣きながら言ってきても
「わからない」と逆ギレして、自分のしてほしいことを押し付ける。
そんなことの繰り返しだった。
そして、「もう、自分で考えなさい!」
と、ひとりにさせる…。
子供と繋がるどころか、心は離れていくばかり…。
その頃は、自分がそんなことをしている事実さえ見えないくらい、
自分を見ることから逃げていた。

罪悪感がない訳がない。

でも…そんな私が、変わったのだ。

「自分に優しくなりたい」と、心から思ったからだ。

私もいっしょだった。
小さい頃から、母親には「甘える」ということができなかった。
自分の思いたいように思う母親は、私のことを「できる子」にしたかった。
「~ができたらいい子」
「~ができたら愛するに値する子」
「~ができたら私の娘として合格」

そんな「娘を愛するための条件」があった。
そうしないと、神様だと思っていた母親から愛してもらえないと感じ始め
必死にその条件を満たすため幼いながら頑張っていたのだろう。


つづく…
  

Posted by えっちゃん0226 at 16:35Comments(0)美しい女性セミナー