2012年07月25日

自愛のすすめ



「自分を知る」



何度もこのことについて書き、取り組み始んできたが

一層に自分自身が「ノーマーク」だと気づく。



知れば知るほど、「元々、こんなに力があったんだな」と気づく。



今、改めて自分自身

「荒木悦子」という人間に興味を持っている。



何故に、「荒木家」の長女として生まれようと決めたのか。

そして、「悦子」という名を、自分自身につけたのか…?



「私について、知ってるつもり」をリセットしたら

全く意外な私を発見し始めたのだ。



こんなに力があり、こんなに理解力があるなんて…

でも、どこかでそんな私を、感じてはいた。



たまたまかな…?とか否定したりもしていた。

たまたま、感じちゃったりするのかな…?

偶然かな…?



今、自身の価値観を見直し、親の価値観を手放し

改めて、真っ白な状態の「私」

スタートラインに立った感じだ。



とにかく今から、目の前に起こることに

ひとつひとつ、丁寧に向き合い、自分自身の気持ちを大切にしていきたいと

心から想っている。



私が私を、丁寧に大切にしたいと、心から想っている。

本当に、今まで自分自身が「ノーマーク」

自分の想い・気持ちよりも、他者の気持ちが当たり前に優先。

当たり前すぎて、問い直しもしなかった。



だけど、自分自身を扱わずして、どうして相手の気持ちを扱うことができるのか…?

今となっては、本当に不思議だ。



これも、7歳の娘に

「世界中で一番好きなのは、自分。

だって、自分がいないと、大切なママを愛せないさ」

と言われ、その「自愛の深さ」を体で感じてしまったからだ。



私が空っぽだったら、何も伝わらない!



自分自身の自愛のなさに、危機感を感じたからだ。



長女を身ごもり、一人で産み育てる!と

腹を決めた瞬間

「命どぅ宝」という言葉がふってきた。



良く聞く言葉ではあるが、その意味はまったく感じれなかった。



障害を持って生まれた、勇気ある魂の長女は

体をはって、私に「命どぅ宝」を伝え続けた。



彼女が生まれて、9年。

ようやく私の「自愛」がスタートした。

自分の「命」を無条件に尊く想わずして、誰に愛してもらうのだろうか?

誰を愛せるというのだろうか?



今、世の中は「愛」を訴えている

「愛」ある世の中を、取り戻そうと必死である。



だけど、「愛」を目の前の人に、向けすぎてはいないだろうか?

お母さんであれば、我が子

恋人であれば、彼に…



それを「愛」と言うことを、当たり前にしすぎていないだろうか?



スペインの教会で聖母マリア様に誓った

「私が世界を変えますから!」



答えはわからなかったが、何故か確信して日本に帰った。



そしてその答えを、娘のマリア・マヤから、12年越しにもらった。



それは、「自愛」

シンプルなことだが、なかなか見つからない不思議な答えだ。



なんせ、自分はノーマークだから。



今、私は「荒木悦子」という人間に興味をもっている。

やはり、私の人生おもしろい!

私にしか、できないな~って思う。

私にしか、感じないな~って思う。



金城氏に以前言われた、「唯一無二の存在」

でも、みんなそうなのである。



今から、私自身を新しく経験させて、楽しんでいこうと思う。

私が、私を乗り慣れて、おもしろい旅に出発するよ~



そんな、心地なのであった。


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Posted by えっちゃん0226 at 16:17│Comments(0)美しい女性セミナー
 
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