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2012年12月13日

女性が世界を変える時

女性が世界を変える時 荒木 悦子 1/5


「女性が世界を変える時」
みなさんこのテーマを見て、何を感じますか?

私は…泣きました。

いよいよその時が来たのだ、と魂は震えていました。
自分自身がこんなにも渇望していたことさえ知りませんでした。

この「女性が世界を変える時」の打ち合わせを日々していく中で、
これは絶対に伝えなければならないことでした。

何故なら、この地球に生まれた私たちひとりひとりが、
この「答え」を強く求めているからです。

その「答え」をずっと探し求め、
いろんな本を読んだりワークショップに通ったりしましたが、
確信に至る答えを感じることができませんでした。

ですが、金城先生との出会いから約十年、
私はやっとその「答え」を体感することとなります。

「どうしたら、世界が平和になるのか?」

私が知りたかったのは、ただこれだけでした。

私がそれまでイメージしていた世界を変える壮大なプロジェクトは、
重く苦しいものでしたが、
今となっては、簡単でシンプルなことでした。

私が出来るのだから、誰にでもできる、そう確信しました。

東日本大震災や世の中で起こっているいろいろな現状を目の当たりにし、
自分に何ができるのか、いろいろな想いを日々感じながら生活されていると思います。

「今、自分に何ができるのか」

その答えを、今回お伝えすることがいよいよできます。
それは、この「EnRich」を読んでいただいているあなたにも出来ることなのです。

今回の特集では、2011年11月11日に行いました
「女性が世界を変える時」のフォーラムでお話しいたしました内容を
お伝えしてまいります。

かいつまんで、ではありますが、
私自身どうやってその答えを体感したのかを、
この10年間の私自身の変化・成長を皆さまに読んで頂き、
ご自分のヒントとして受け取って頂きたいと思います。

そのことが、「世界を変える」一歩となります。
偉大なるこのプロジェクト、でも私たちは本気です。

子供たちが明るくのびのびと生きる未来の環境を創るため、
私たちは「今、出来ること」を積み重ねてまいります。

どうかお力を貸してください。
共に、素晴らしい未来を創りましょう。


私について


まずは、私の紹介からさせてもらいます。
といっても10年前の私です。

20代、私はいわゆるキャリアウーマンでした。

もともと女性を綺麗にすることが大好きで、補正下着のインストラクターから始まり
20代半ばでは、エステと美容室の経営者となりました。

そしてさらに「美」を追及するためヨガを学び、
そこからベリーダンスと出合いヨガを取り入れた独自のスタイルで、
ベリーダンスの教室を展開していくこととなります。

初めて経営したエステと美容室は、
たちまち売り上げも伸びビジネスはうまく波にのり、
当時は、経営者たちが集まる街づくりのボランティア活動にも積極的に参加したりと、
社会的にも認められる立場まで私自身這い上がった感覚でした。

すべてが上手くいくので、正直怖いものなしと言いますか、
このまま、思ったことは何でも叶うことを当たり前に思っていましたし、
このまま飛ぶ鳥を落とさぬ勢いのある私、まさに絶好調の時でした。

やりたいことは誰が何と言おうと行動する、よって叶う…
「欲しいものは手に入る」と、思ったことの叶う20代。

初めての経営も波にのっていたのですが、
叶えば叶うほど、私自身に「空しさ」が広がりました。

目的を達成するまでは気持ちが入るのですが、
叶ったとたん孤独と空しさが襲っていました。

小さい頃から何故か海外に憧れがありました。
社会人となり経営をし、現実を見る力の大切さを感じてきた年齢でもあり、
自分の目で本当の海外の情報を確かめたい、そんな気持ちが強くなっていました。

そして、現実を見れば見るほど「空しさ」が湧いてくる自分自身と向き合いたくて、
時間を作りよく海外へ出かけました。

18歳の時、短大のホームステイでカナダに行った時から、
私の「なんで?」と疑問が働き始めました。

「日本って、変!」そう思い始めたのもこの時からです。

憧れていた初めての海外、写真を撮るのももったいないと思うくらい、
すべての情景を自分の目に焼き付けて帰りたかった程、気持ちは高ぶっていました。
忘れかけていた小さい頃の好奇心が、海外では自然と湧き出ました。

カナダのノースバンクーバーに飛行機が着陸する時、
「わー…!」と、溜息しか出ませんでした。

街の造りがあまりに美しいのです。
童話に出てくるような森の中に、かわいらしい家が綺麗に区画整理されて建っています。

自然の中に人間が住まわせて頂いている、共存共栄の人の在るべき環境でした。
どこにいっても樹木の香りを感じながら新鮮な空気の中に包まれている感覚は、
心地よさと安心感を思い出させてくれました。

日本ではそんな心地を感じたことがありませんでした。

東京から飛行機で飛び立ったわけですが、
ビルの隙間からかすかに空が見えるかくらいのビル社会、
そのまた隙間にアパートやマンション、一軒家が建ち、
排気ガスの中で洗濯物がなびいている…
そんな日本のゴミゴミした状況を思い出し、急に恐ろしくなりました。

何が恐ろしかったかと言うと、
自分の住んでいる環境を当たり前だと思い込んでいた自分自身にです。

こんな美しい環境に触れてしまっては、
今まで住んでいた場所が、言い方は悪いですが「ゴミ箱」に住んでいるように感じました。

「騙されていた」ような感覚にすらなりました。

物が溢れて情緒の落ち着き所のない日本、
物は必要最低限、だけどいつも大地と繋がっているような安心感のあるカナダ、
子供を育てるとしたら間違いなくカナダを選びます。
18歳ながらにもそう決めました。

日本の経済至上主義の犠牲の中で私たちが埋もれて暮らしているなんて、
このカナダの環境に触れなければ解らないことでした。

初めて自分の当たり前の「価値観」に疑問を持ち、
私はこうしたいと想った貴重な経験となりました。

それから私は、環境問題を考えることとなります。
どうやったら、地球全体をカナダみたいに美しい環境にできるのかと。

それから20歳の時、タイに行きました。
貧富の差が激しい国であることは、高層ビルのすぐ近くに、
今にも壊れそうな木造の家屋に家族ひしめき合って生活しているのを見て、
すぐにわかりましたが、
気になったのは車が行きかう砂埃だらけの道端で、物乞いをしている親子の姿でした。

どこに観光に行っても、親子の物乞いをしている姿がありましたが、
何故か?ほとんどの子供たち…片方の手・足がないのです。

偶然には思えずガイドさんに聞きました。
ガイドさんはあまり話したくなさそうでしたが、
私がしつこく聞くと衝撃の事実を教えてくれました。

「お母さんが、足を切るんですよ」

「……?」私は理解ができません。

「生きていくために、みんなにかわいそうな子供と思われるため、
母親が生後間もない我が子の手足を切るのです。これが、タイの現実なのです。」と。

気を失いそうなくらいショックでした。

考えもしなかった事実。
テレビとかでは、そのような話聞いたことはあるけれど、
自分とは関係のない遠くの話として流していました。
ですが、今、目の前で見てしまったのです。

どれだけ恐ろしい現実なのかを身をもって感じてしまいました。
もし私がこの母親の元に生まれていたら、
拒否する権利もなく、この運命に従うしかないのかと。

それとも、もし私がこの子の母親だったなら、
生きるためだからと我が子の足を切れるのか…と。

そう考えていたら、悲しみと憤りが体中を駆け巡り震えていました。

人として、絶対にしてはならないこと、ダメなこと。

経済の犠牲になってはいけない、
子供たちを守りたいという気持ちが強くなり、
同時に「運命」についても本気で考えることとなります。

26~27歳で、中国・ニューヨークに行き、同じような状況を感じました。
中国では、四歳くらいのストリートチルドレンたちにお金をせびられました。

冬なのに裸足で砂まみれ、車に乗っている私たち目がけて、走って追いかけてきます。
その目はもはや、子供の面影はなく光の無い鋭い目をしていました。
その日食べるものもないサバイバルの生活、
それを小学生にも満たない子供たちが必至でいる。

私は何をしているのだろう…、
自分のわがままさに吐き気がしました。

ニューヨークでは、地下鉄で一人ゴーストタウンに迷い込み、
危険な状態ではありましたが、向かいに座っている貧困層の親子に対し、
心の中で「この親子が幸せに暮らせますように」と祈りました。

すると同時に、
「あんたみたいな裕福な日本人に何がわかる!上からものを言うな!」
と、こだまのように睨まれた目から言葉無き言葉が返ってきました。
私は往復ビンタをされたように精神的に打ちのめされました。

確かにそうだからです。
今、自分が良かれと思って想いをかけていることは、
無意味どころか身の程知らず、世間知らずの事実でした。

「おまえに祈られたくない」

何故かその時、腑に落ちました。
自分の無力さに愕然としました。

それからヨーロッパにも行き、素敵な教会を巡りました。
ガイドさんに「何か願って下さい」と言われ、
何をお願いしようか考えても、やはり「世界が平和になりますように」
これしか思い当りませんでした。

自分の無力さも分かっている、好奇心で言っているわけでもない、
でも「見た責任がある」そう、責任がある。
そう思い、私は美しい七色のステンドグラスの前で
微笑んでいるマリア様に向かって、静かに祈りました。

最初は「お願いします」と。
ですが、タイや中国で見た子供たちを思い出し、
「私が絶対!世界を変えるから」と自分自身に誓いました。
その瞬間のことを思い出すと今も熱くなり涙が溢れます。

純粋な 真剣な想いであったから。
何をどうしたら良いのかもわからない、やり方が分かるわけでもない、
だけど自分に誓った約束は絶対に守るとそれだけを握りしめ日本に帰りました。



つづく

詳しくは 円隣企画HPにて
http://www.enrin.co.jp/enrin-dnn/Default.aspx



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Posted by えっちゃん0226 at 16:00│Comments(0)美しい女性セミナー
 
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