インストラクター☆屋我和菜さんより

えっちゃん0226

2011年10月03日 09:35

発表会が終わってまだ一週間だと思えません
私にとっては毎日がとても内容が濃くて
もう1ヶ月以上経ったような…
浦島太郎の玉手箱あけたような感覚です。

発表会前におじいちゃんが亡くなったこともあり
仕事と法事と、発表会のことを「やりこなす私」で…
とにかく必死でした。

途中、「出なくていいってなったらどんなに楽だろう」
の考えが見え隠れする中、
体調不良で久しぶりに高い熱を出してしまい
仕事も休んでしまうという
目に見えてのコンディションは最高に悪い形で、
どうにかこうにか乗り切った時間でした。


おじいちゃんが体調を崩して危篤になってから、
悦子先生に支えてもらいながらの「生きる」ことについて、
私に映して「私が生きる」ことに取り組みました。

そんな中、ダンスを組む新しいお友達も悦子先生が連れてきてくれて、
「りさ」と引き合わせてくれました。

あった時からすぐになんでも話して心が通う関わりにしよう
と2人で決めて、色々ありましたが、
お互いに納得いくものを大切に大切に育てようねって、
悦子先生がくれた機会をひとつひとつ大切に温めて
育てようと取り組みました。

ダンスの中で、勿論踊りもですが、
2人でテーマを決めて、お互いの生活の中でおこった出来事…
仕事や恋愛のこと、将来のと…
いろんなことをちゃんと向き合って
「一緒にいる」という体験を本当に初めてさせてもらいました。

だから踊りもそうだけど、
一番私が私らしく育った、
私らしく生きようって決めてそのままの私で生きて関わった初めての経験でした。

職場でも法事をこなし必死こきまくる私を応援してくれて、
葬儀に顔をみせにきてくれたり…

おじいちゃんとは直接関係ない人達が、
私のことを想って、おじいちゃんを私の大事な存在として、
葬儀に参加してくれたこと。
びっくりしました。
法事は社交事例の賜物だと思い込んでいた失礼な私は、
法事を通して、周りの人からこんなに想われているんだということを
生まれて初めて感じて、
おじいちゃんの生きること、
私が生きること、
人が生きること…

本当に生きるって何かを繰り返しました。

今まで、死ぬまでに本音トークや腹をくくってのお互いを生きることをしないで、
かろうじて上辺だけつながっているような、
全く宙ぶらりんの生き方、有りみたいに思っていました。

そんなことをしないで、
死んだら集まってくる葬式というものが魅力的ではありませんでした。

だけど、私がちゃんと向き合って生きよう
みんなと生きようと決めて迎えたお葬式は
とてつもなくステキな時間だったのです。

本当の心でつながりたいという私の気持ちは変わりませんが
法事もダンスもなにもかも…
温かい想いがあると全然違う。

その関わる人達の想いでカラーも伝わることも生きて届く。
そう身を持って感じました。

今まで、私どこに目をつけて歩いていたんだろう。

今回、「どこにいっても私という人間がこんなに大切に想われてる」
ということを初めて実感した時間でした。

こんな大切なことに気がつかず生きていたことに
びっくりした私でした。

発表会を通して、私という人間が見えて毎日が濃い!
全部かけません(笑)

いろんなことがありすぎてかききれません。


色んな人に支えてもらって、
私という人間が想われてることを肌で感じた時間でした。


屋我和菜



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